やなもの

全国的に流行ってるんでしょうかね?大阪だけでしょうか?それともむしろ東京発なんでしょうか?このところ大阪の(若い人たちが集まる街角の)あちこちで見かけるようになった路上詩人屋さん(なんだかそれらしい「○○屋」という屋号がついてたと思う。フランチャイズだという話も小耳にはさんだことあり、あちこちで見かけるし一カ所にひとりでなく複数人いることもある)。はじめのころは、こういうかたちで詩が(ことばが)流通/交換/消費されるのも悪くはないかなぁ〜と思ってたのですが、最近は見方が変わりました。「やなもんが流行るな〜」てとこです。
通りすぎるときになにげなーく観察していると、客のほうは人生相談めいたものをもっていく。それに対して詩人屋さんは(ということばも落ち着き悪いなぁ…「詩屋」だろうか)小さなホワイトボードに簡単なことばを連ねて図解しながら解説してってる。そのことばを見るとどう見てもなんだかもっともらしく教訓くさくかつナルシシスティックな響きに満ちた人生訓(自己開発セミナーとか俗流精神分析みたいな場でよくささやかれるたぐいの)みたいな感じなんですな。もちろんそういうのも詩といえなくはないのだろうけど、つまりは求められているのは、なにかしら耳にやさしくなにごとか人生を納得した気分になれるようなかんたんな(そして陳腐な)ことばのようなのですね。同じく(若い人が集まる街角の)路上に多い占い屋さんがおそらく盛大に売っていることばとおなじように…〔わたしもはるかむかし路上(というよりはショッピングセンター内)タロット占い屋をバイトでしてたもんでよーくわかる←ひとのことを非難できない(笑)〕。
こういうのっていつごろからかなぁ…。相田みつをって大嫌いなのですけど(笑)ああいうのが流行りだしてからでしょうか?もっと前かな?武者小路実篤とかサトウハチローとかのわかりやすい人生訓詩画を色紙に描いたものがやりとりされるというのはもともと日本人が(小市民が?)好きな暮らしの一風景なのかもしれないけれど。あれが家族のモラルみたいな文脈であったとすると、そしてラブレター代筆などのひと昔前の売文屋がなにかしら他者に対する作用を持つことばの機能を目的別に販売してたとすると、いまのはひたすら「自分」が納得するため、「自分」のためのことば、ってのが「臭いっ!」って感じるところなのかもしれません。
もっともわたし自身もそういうことば(あるいは比喩)にひょいと足を掬われてしまうことが多々あり、精神構造が中世(魔女狩りの時代)並みやぁ〜と自分で自分がナサケナクなることがよくある。だからこそその臭さがよけいに鼻につくのかもしれませんが。