寒い日でした

出先の奈良では雪が降り頻っていました。
奈良って・・・たまに出かけるとなんだかほっとするな。「やまとは国のまほろば」とはひょっとしたらものすごく国粋的なことばなのかもしれないけど「まほろば」という語感が好き。大和盆地のなかにいると低い山々にかこまれてなんだかほんまにここが「まほろば」という感覚。
近鉄電車に乗って大阪から東へ向かうと、生駒の山をくぐりぬけてがらっと空気が変わるのね。駅の雰囲気もちがう、町のようすもちがう。空の色や木や花のかたちや空気の味までちがうような…。(生駒の直前の大阪の東のはずれがゴミゴミごちゃごちゃしてるので余計に…いやそのゴミゴミもなかなか味があるのですけどね)。生駒を越えたらそこは奈良盆地
おなじく盆地なのに京都はなぜかそんな感じがしない。阪急でいえば大山崎のあたり名神でいえばちょうど天王山トンネルをくぐるあたりから盆地に入るわけだけど、近鉄のようなはっきりした感覚が阪急電車の場合少ないせいかもしれない。京都の町の、町としてのきりっとしたありようにからめとられて、のんびりした自然の盆地感覚が薄いせいかもしれない。北の方、北山、鞍馬、大原のほうへとどんどんのぼっていくと、だんだんと黯い山の森の中へと(恐ろしい神の領域へ)分け入っていく感じで、ベクトルが一方的なのかもしれない。
大和の場合は、神様も高いところから降りてきて盆地のなかの低い山々の中腹でのんびりひと休みしてるんやないかという感じやし、「まほろば」といっても「世界の中心で愛を叫ぶ」(笑)よりもっと幼児的・原始的で、ぷかぷかと池に浮かんでいたら自然にまんなかにふんわりと置かれていたみたいな、そういうあたたかい感覚がある。
(仕事で行ってる)低いビルの上から外を見るとはるか向こうに山々が見え、見下ろすとよそのおうちの庭にみごとな木が見える。「何の木だろ?」枝を見ると梅のようだけど、梅ってこんなに大きくなるもんかしら?桜かな?よくよく見ると小さな黄色の実のようなものがいっぱいついてるんだけど、いまの季節に実はおかしいか?「やっぱり梅ちゃう?」黄色の梅のつぼみかな…。その向こうにはちょっと薄黄色みを帯びた白い花がびっしり垂れ下がるように咲いた木があって「あれは辛夷かな?それとも木蓮かしらん…」木をしらない都会っ子どうしで木談義。