…まだショックが

業界に片足突っ込んでる者としてはちょっとたまらん事件でした。見聞きできる情報はもらさず見てるけどどうつらつら見ててもやりきれない…。
(学校/塾と家をむすぶ道の)行き帰り気ぃつけやぁ〜知らんひとについてったらあかんでぇ〜怪しいひとに声かけられたら逃げるんやでぇ〜とか言うてる矢先に、到着した先のその安全な(はずの)場所に閉じ込められ「知っている」(信頼すべき)「先生」に殺されちゃうなんて…。
大学生アルバイト講師が2〜3年もするとそれなりのノウハウ身につけて子どもらに慕われる「先生」になるのも、自慢話好き大声大袈裟身振りがウリの講師も、どうしても相性あわない生徒がいるのも(嫌いな先生を「きもい」とか「きしょい」とか「嫌い」とか言う生徒も)、生徒の講師評価アンケートも、受験本番を控えてただでさえぴりぴりしている今の時期の親子らも…すべてすべて見慣れた光景だけど、「関係がうまくいっていなかった」ったって相手は子どもでしょう?しかも「先生と生徒」というれっきと上下のある関係。なんで「小さな者」「自分より弱い者」への手加減/思いやり(犬猫でも持っている)がはたらかない? 小学生の女の子ひとり殺さないと(異物?他者?を排除しないと?)どうしても平衡を保てないと思い詰めた彼の自己世界ってどんなものだったのか?(そのあとどうなるか?あたりまえの社会的人間の正常な判断が働けばわかりきってることなのに…)。ふつうなら絶対にどこかで働くはずのブレーキがすべて易々と突破されて一気に最悪の事態にいっちゃったみたいな衝撃。…前科のある人は採用しないとか性格や精神状態を審査するとか生徒から「嫌い」と声のあがった講師は外すとかそういうのは対策にならないしかえって人権侵害になりかねない。さて何が悪いんだといって社会状況にも教育システムにも「今の若い者たち」にも"犯人"さがしはなじまないだろう。何かが「悪いからこういうことが起きるのだ」ではなくて(それを改善すれば良くなるだろうではなくて)この不条理を噛みしめないといけないんだろうなぁ…。これが(子どもが犠牲になったほかの事件らと同じく)時代の大きな象徴的事件で何らかの変化をもたらすことは確かでしょうけど。
事件のあったその土曜日の午後から(わたしはネットで速報だけ見て出かけたから詳細は知らず)子どもたちにも先生方にも会うんだけど、大人たちはみな同じ思いらしく敢えてそのことを口にするひとは皆無。普通に世間話しながらもなにかしら重苦しい雰囲気がたちこめる。子どもらは一見平気で事件のことを軽々しく話題にしたりする子もいるんだけどまぁいつもどおり元気。だけど心なしかいつもより甘えんぼになってるかな?(やたらくっついてくる…まぁ急に寒くなったこともあるし)。いや、わたしのほうがかれらに甘えてるのか…(大人たちの動揺が子どもらに投射されているのか…)。
ここでこんなこと書いてるとまずいのかもしれんけど、わたし個人としては、(相手が大人であれ子どもであれ)他の人間とうまくやってくのがとにかく苦手なタイプだし(人間関係しくじってばっかりだし…それこそわたしを「嫌っている」ひとは多いだろうし…大人も子どもも)、教える職業でもなんでも人間相手の商売はできれば早いとこ辞めたいんだけどね。
だーれとも顔あわせずに部屋に閉じこもってなにか書いてるとか(描いてるとか)そういうので食ってければいうことないんだけどなぁ…手先がぶきっちょだから技術職はできないしなぁ…。