口唇性愛的なたべもの?

ところでチョコレートはとみに口唇性愛的なたべものだと思う。
(色だけみれば肛門的…とか言わないでね。思い出して食べられなくなるから
 …って自分でゆっててどうする)
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子どものころ、かなり大きくなってもおくちをちゅっちゅくする癖が直らず、くちびるの皮をむしる癖もあって、よく小学校の先生に注意された。
シャルロット・ゲンズブールの口が(少女の頃から)とんがっているのは、フランス人がかなり大きくなるまで子どもにちくび(あれなんていうんだろ?子どもに吸わせておく代替乳首)を吸わせておくせいだろうか…とか疑ったり。
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森茉莉さんの随筆読んでるとチョコレートやボンボンなどひとくちで食べられるかわいいお菓子がいつも身近にあったらしいし、ナルシシスティックな(趣味的)暮らしに欠かせないアイテムかもしれない。
というか、ひとり暮らしは必然的に口唇性愛的/ナルシシスティックな食生活になるのかな?
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手の湿疹がひどくて凝ったお料理ができないせいもあるけれど、それでなくてもひとりで生活してると、ほんとに料理は手抜きになる。
変なものは食べたくないから悪い食材は買わないし、栄養が偏らないようそれなりにバランスは考える。外食ばっかだと食費がかかりすぎるので自分でつくるけど、野菜なら煮る、魚なら塩焼き…と最小限の手間でできるものばっかり。
味つけはいっつもテキトー。ひとりだと何がちがうといって、薬味やソース類をほんとに使わなくなる。ここでゆずの皮がちょっとだけあったら味が引き立つだろうなぁ…とか、もみじおろしがちょっとだけ欲しいなぁ…とかいうところでも、まぁえっか、口に入ってしまえば一緒やし…と省略してしまう。市販のドレッシングはどれも油がしつこいか、調味料の味が強すぎるかなので、サラダもドレッシングかけずに食ってしまう…。
沢村貞子さんがお連れ合いを亡くすと料理を作る気も献立を考える気もしなくなる、料理はひとのためにするものである…みたいなこと書いてたけど、ほんとにそのとおり。それは女だからとか母親だからとかではなく、人から人への話だと思う。
献立、料理は、ひとに食わせるためにするものです。
だれかに(もちろんプロの料理人でも)心をこめてしつらえてもらった食事をいただくのはすごくうれしいし、美味しい。
逆に、食べるひとの顔を思い浮かべながら、献立をあれこれ考えたり、ちょっと自分なりの工夫を折り込みつつお料理するのはとても楽しい。
わたしもたまーにだれかに食べさせてあげるために何かつくるときは、張り切るもんなぁ…。
でも、それもやりつけていないと腕が鈍るのだけど。
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それが、ひとりだとどうなるか?
ひとりの口を愉しませるものといえば…昔は煙草、いまはチョコレート・・・やっぱり口唇性愛的になってしまうというところなのです。