ちと沈みがち

“わたし”(という存在)は一人(ある統一のとれた一つの“全体”像)(であらねばならない)という信念が強固であるからこそ、多重人格なんて症状が発生する。そんな思い込みがなけりゃー“わたし”なんて何人いたっていいわけだ(じっさい常時二人から数人いるのがごく普通であるらしい)。そもそも自己同一性の神話ができあがったのはそう遠い昔のことでもあるまいし世界に共通・人類に普遍なんてものでもあるまい。
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という書き出しで書きたかったことがあり、あとが続かないのでここに書いておく。
(て、なんちゃらん)
きょうはいちんち冬もののセーターなどのお洗濯。
既に台所では全く使っていない合成洗剤だがお洗濯とシャンプーだけはまだ完全に石鹸への切り替えがすんでなくて(寒いときはせっけんは溶けにくかったりするもので)、手のぶつぶつがいつまでたっても治らないのはそのせいかな?と思い、ちょっと前からシャンプーだけは石鹸でやるようにしてる(洗いあがりはとても満足とは言えないが…)。洗濯も切り替えないとなぁ…と思いつつ、やっぱりセーター類はそれ用のソフトな合成洗剤でやっちゃった。クリーニング屋に出したやつは、そもそもどういう洗い方されるかわからへんしなぁ…。