生まれた町をあまり知らない

jaja85ans2005-04-28

JRの事故が起きた尼崎はわたしが生まれたところです。ただ、JR尼崎から塚口のあいだというのは馴染みが薄く、さらに乗客らはそれより上(かみ)のほうから乗って来たひとがほとんどだったので尼崎の住民は少なく…、むしろ川西とか宝塚とか伊丹とかに住んでる知人、友人たちのことが気になりました。
救助活動にあたってた消防署の人たちとか見てて、ちいさいときに可愛いがってくれた通称「消防のにいちゃん」(←そのまんまやん(笑))という消防士の人がいたなぁ…とか思い出したりして(現役ならもちろん出動してたでしょう)。
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某仕事先でわたしの直接の上司に当たる(社員ではないので“上司”というのも正確ではないのだが…まぁ監督責任のある立場の)方が、世間話のついでにわたしと小学校が一緒だということがわかって奇遇ですなぁと互いに驚いたこともある。
なんせ、阪神間の辺境というか、場所的には辺境ではないのにどこか文化的に大阪でもない神戸・阪神間でもない鬼っ子のような存在…。しかも、昔は「工場の町」として知られてたので(公害とかで有名だった)、小学校の校歌に「けむり」なんてことばが出てくるんですぜ(笑)。信じられないでしょ。そういうとこの同窓生。(いや、実は、某芥川賞作家もその小学校に通ったことはあったらしいのですが「父の事業の失敗で…尼崎に住む叔母に預けられ」ってことらしく、なんだか尼に住んでたのが恥だったような書き方?)。尼っ子といえばほかにダウンタウンの二人が有名か…。
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ただ、どうも子どもの行動範囲が狭いせいなのか、生まれた町とはいえ自分の実家のある周辺以外のところはあんまり知らないですね。(実家に近くても猥雑な界隈は立ち寄るのが怖いとこもあったし…)。
いうても近畿圏だし、縄文・弥生時代からの遺跡はあるし、義経が船出したという大物の浜(いまはすっかり陸地)があったり、近松門左衛門の墓を大阪と競ってたり(笑)、それなりに名所旧跡はあって、小学校ではちゃんとふるさとの町を学ぶ教育がなされてて、遠足なんかもあったと思うのだけど…。
タウン誌の企画記事を書いたときにあらためていろいろ歩きまわって新たな発見があったぐらい。(映画『赤目四十八瀧心中未遂』のロケでも使われてた辺りです)。
きょうの夕刊見ててびっくりしたのが(そんなとこでびっくりしてる場合やないで…と思うのだが)、うちからいえば隣の隣村にあたるあたり(?)に、村野藤吾の初期作品があったという話。旧・大庄村役場(大庄は「おおしょう」と読みます)。うーん、そんなもんがあったとは…。しかも建設当時は「日本一豪華な村役場」として有名だったとか…。今度見学に行こ。
旧大庄村役場(写真も尼崎市のホームページから借用)