いろんなヴァージョン

それにしてもほんとにこのTigerの検索機能、すごいです。めちゃくちゃ早いのに感動する。
この機能つかったファイル整理やメール整理の新しいやりかたもあって(まだちゃんと使いこなしてないが)これも便利そう。
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さてさて…
長い連休も明日が最終日。
きょうは、おともだちの結婚式に行ってきました。
結婚式そのものもひさしぶりだけど、このたびはまたまたひさしぶりの純キリスト教式の式(ややこしい)。
ゴスペルの合唱隊で知り合ったおふたりとのことで、よくある(責めてるわけじゃーないが)俄信徒ではない。
で、ひさびさに讃美歌とか歌う機会があったのだが、その歌詞も、また引用される聖書の文句も、昔々の中高時代に慣れ親しんでたヴァージョンとちがうのね。
ああそういえば、昔あった口語訳を改訂した新口語訳が出てたんだっけといいかげんに納得して帰ってきたのですが、帰って調べてみると、派によってもちがっていたのでした。
今日の教会は福音派だったから…。
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たとえば、礼拝とかあらゆる式で歌われるおなじみの頌栄歌
わたしが中高時代に慣れ親しんでた歌詞では…

♪父、御子、みたまの おおみ神に、ときわに絶えせず
 み栄えあれ、み栄えあれ
きょう使われてた福音派の歌詞では…
♪父、み子、みたまの おおみ神に、とこしえ変わらず
 み栄えあれ、み栄えあれ

聖書の字句では、たとえば
有名な「コリント人への第一の手紙」13章4節以降がこんなふうにちがう。

昔、慣れ親しんでた口語訳のヴァージョンでは


愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

今日のは


愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

敬体(ですます調)になってるのも大きなちがいだけど「人のした悪を思わず」とか「がまんする」とか苦心のあとのみえる訳。
ちなみにこの訳は「新改訳聖書」というそうです。

わたしが勘違いしかけた新・口語訳というのは「新共同訳」といって、同じ箇所がこうなる。


愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

ちなみに書名も「コリントの信徒への手紙一 」と変わってます。
もひとつついでに文語訳では…
…と引用しようとしてネット上さがすとなぜかないなぁ…(消えておる)。
家捜しすればうちにもあるはずなんだけど…掘り起こすのが面倒…(笑)

ま、いま『聖書』とされているもの自体、出自があやしかくて継ぎはぎだったり、英語とかフランス語とか各国語でも各国語の歴史だけいろんな聖書の訳があったりしますけどね。