妻有

jaja85ans2006-09-04

越後妻有アートトリエンナーレ2006
http://www.echigo-tsumari.jp/index.html
8月29日深夜の夜行で発って30日は朝からバスツアー、その日の夜は「夢の家」に泊まり、翌日もまた別コースのバスツアー、十日町市内で蕎麦と温泉と酒だけ楽しんだあと、また夜行に乗って大阪へ。9月1日早朝帰着。…というスケジュールでした。
帰ってきたらすっかり大阪も秋だった!
現地も30日がちょうど夏の終わり、31日が秋の初めという感じでした。8月は全く雨が降らなかったんだそうですが30日はけっこうまとまった量が降り、見学の我々には迷惑だったが、草木や田んぼには恵みの雨だったようで、緑が青々と美しかったです。31日は素晴らしい好天でしたが、沿道には既にすすきが穂に出で萩も満開近く、すっかり秋の光景でした。
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はてな」のFotolifeの容量が意外と小さく、前のほうの写真を削除しないといけなかったのですが、いくつか写真あげてますので見てくださいませ。(タイトルのHatena Diaryの横の三角を下にクリック)。ミクシィのフォトアルバムはプレミア会員だけだったのね〜。
それにしてもろくな写真がありませぬが…動画からのキャプチャーで画質がダメというのもあるけど、そもそもカメラのバッテリーがかなりへたってるのを忘れてて1日目でほぼアウトという失態。バスの窓外を流れる緑の光景が美しくてそればっかり(無駄にいっぱい)撮ってたおかげで作品(ことに戸外の作品)がほとんど撮れてないし。(ま、作品撮りにいったわけでもないけど。作品撮るなら、ぶらんこのように「動く」作品ではないかぎり、やっぱり静止画できちんと構図決めて撮ったほうが綺麗だもんね)。
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1日目の北周りコースは陶芸や生け花、マーリア・ヴィルッカーラなど。2日目の南周りコースではボルタンスキー「最後の教室」やカサグランデ&リンターラ建築事務所「ポチョムキン」など。よくわからずにこれで全域周れるかな?と予約しといたのだが、実際に行ってみると距離を稼いだわりにはせわしなかったかな…と。
ツアーに出かけてしまったおかげで、街の中心部にある作品が(戸外にある作品は早朝深夜でも見られたけど)見られなくて悔しい思いをしたり…。
現地でもみんな言ってたけど、やっぱり4〜5人でレンタカー借りるかタクシーをチャーターして、ある拠点を中心に集中的にまわったほうが効率が良いみたいです。
「夢の家」に同宿した若いかたがたのうち、お一人はスクーター、カップルの二人はレンタサイクルでまわっていたようでしたが、「夢の家」があるのはかなり急な山の上。ここにかぎらず、登り下りが多いので、自転車はかなりきついみたいでした。
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それにしても、ツアーの参加者さんたちも「夢の家」の同宿者のみなさんたちも、みんな凄い凄い。現代アートの巡礼者というか、直島とか全国各地に行ったはるし…。わたしと同じ作戦で北回り、南回りと2日続けて行ってた人も多く、ガイドのおじさん(「こへびたい」なるボランティアの一員の方)まで同じ人だったのには笑った。その2日続けて同じ人に、現地最後の夕食のお蕎麦屋さんでもばったり遭遇!「へぎ蕎麦」で有名なお店だったらしく美味しかったです〜!
その前の晩の夕食食べた松之山温泉の蕎麦屋のおじさんも、タクシーの運ちゃんも、ボルタンスキーだレアンドロアブラモヴィッチだ(そういう人たちが店に来たとか)そういう話を普通にしたはるし、なんだか不思議な感じ。
地元の人たちのお話ではNHK日曜美術館』に取り上げられて急に客が増えたとのことでしたが、そういえばわたしって『日曜美術館』見たことないなぁ…(そういう番組があるのはもちろん知ってて美術展のなかで参考ビデオとして見たりはしたことあるけど)。今のアートファンのみなさま、そういうところから情報得ていらっしゃるんでしょうか? わたしなんてたまたま耳にしただけのものを当てずっぽうに追っかけてっているので、それがほんとうに現代美術のなかでスタンダードな感覚なのか?たまたま偏ったところが話題になってるだけなのか? ようわからんままで、なにやらおもしろいものがあればえっか…と動いてるところがありますが…。
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現地はほんとうに美しいところで、山あり川あり、よく手入れの行き届いた里山(ぶな林が中心?)あり、お米やお水の美味しいところで、棚田が斜面にびっしり作られていたりと、変化に富んだ緑の光景が素晴らしかったです。そういう田んぼのまん中に、山を登っていったところに、ぽつんぽつんとなにやら異様なものが置かれていて、「あ、作品だ〜!」と見つけては寄っていって写真を撮ってるアートファンがいて…。
(「あ、作品だ〜!」という声は、1日めのツアーで一緒だった母娘連れの小さな娘さんが作品を見つけた時の声が耳にこびりついてしまった(笑)のですが、「作品」としてあるなにかのもの、「作品」ではないけどなにかおもしろいもの、ふつーのものと見分けのつかない「作品」、街の景色や田園の風景のなかに何をどう置いて、どう楽しむのか、そもそも「作品」て何なのか?(作者がいるもの?)についても、ふと不思議に思ったり・・・)。
京都や大阪では古い町家や単なる長屋を、古いまんまでレトロなカフェや居酒屋にしたり…というのが多いのだけど、こちらも空いた古い民家を改造して家そのものを作品にしたり、作品の展示場にしたり…。もとの家のご商売がわかるような展示や、廃校になった小学校など、記憶がそこここに残されているのがおもしろい。
それにしてもそんだけ廃校や空き家があるということは、それだけ過疎化が進んでいるということでもあり、中越地震の爪痕もあり…。3階建ての家が多く1階がガレージや物置になっているのは、雪の季節になると1階がすっぽり雪に埋もれて2階が玄関になるということでしたが、それだけの豪雪地帯の厳しい気候のなかで、棚田のように労力が余計にいる仕事をして、さてどんだけの人が地元に居着いて残って暮らしていくのか…。地元に地道に暮らしている人々がいてこその、こういう芸術祭なんだろうし。
アートで村起こしとかアートは儲かるとか、儲け主義に走ると嫌だとか(直島のベネッセはどうもコマーシャリズムに走る傾向あり?)、とはいえこのようなイベント(各地の映画祭なども同じだけど)、多くのボランティアの力や自治体の予算がなければぜったいできないものだし、ほんとうに儲かっているのか?(儲かっているのは誰なのか?)。そもそも昔からアーティストたちはお金持ちのスポンサーの庇護や援助のもとに無駄なもの、異質なもの、美的価値以外には何の役にも立たないものをせっせと創作してきたというのもあり…。このへんの構造とか(あるいは構造の変化?とか)、考えてみたい気もします。

今回行った(体験した)なかでは、やっぱりボルタンスキー「最後の教室」と、マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」が圧巻でしたな。
ことに「夢の家」で、作家の指示にいちいち従って、特別なお風呂に入り、特別な水を飲み、特別なねまきを着て、特別なベッド(?棺桶みたいでしたが(笑))と特別な枕で寝み、そこで見た夢を「夢の本」に記して帰ってくる…という体験がおもしろかった。「体験する」アートはすべて(ほとんどすべて?)、作家の指示に忠実に従って、変なこと(日常的な感覚からすれば)をやったりやらされたりするんだけど、ふだん精神世界だのニューエイジだのまったく信じてない(むしろ嫌いな)わたしが、「これはホトンド新興宗教かい?」とか苦笑しながらもおまじないみたいなことを嬉々としてやっているのが、我ながらまたなんだかおもしろかったり…。
そもそも家のつくりじたい、古い雪国の民家のかたちがよくわかっておもしろかったり。(わたしが幼い頃毎夏行ってた母の田舎の南紀の方の開放的な家のつくりと対照的。外から見るとこんもりちんまり三角屋根でかわいく小さく見えるのに中に入ると意外と広々している。2階の小部屋は繭みたいで狭さが心地良い…わたしが泊まった「青の部屋」は作家の意図で天井が取り払われ、まっすぐ上に太い屋根組が見えて、古い木に守られているような感覚もしました)。
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さてさて、今度はぜひジェームズ・タレルの「光の館」に泊まりたいもんだな。
ここはそれこそ一人で行くともったいないみたいなので、どなたか4〜5人でご一緒しません?
(夢の家、光の館、それぞれ、「大地の芸術祭」会期が終わってからもやってるみたいですよ。雪の多い真冬はダメみたいだけど…)。
http://www.echigo-tsumari.jp/tour/art.html
http://www11.ocn.ne.jp/%7Ejthikari/
http://www.matsunoyama.com/kankou/dream.htm