無分別(分別しないゴミではない)

最近の子どもたちは「分別」をまず「ぶんべつ」と読みます。「ゴミの分別」のほうが漢字テストに先に出てくるから。たぶん学校で教わるのもこっちが先なんでしょう。環境教育とかあるからね。「ふんべつ」という読みと意味を教えると、知らなかったって子がほとんど。いやーこういうのってどうなんでしょ?
 
ちがうものを「ちがう」と見分けるところがまっとうな母の愛であり、それがパンドラの箱をあける(最後のセリフにご注目)のが『チェンジリング』だったとすると…
ちがうものを「ちがわない!」と言い張り、ちがわないものを「ちがう」と言うのもまた愛の狂気にて、これは人間と人間の距離を危険なほど縮め、ついには血を見るほどに接触させるわけですね。
 
昨年の日本映画、もちろん『おくりびと』もよかったし『ぐるりのこと』もよかったし『トウキョウソナタ』にも刮目させられたのですが、万田邦敏の『接吻』も忘れてくれるなと言いたい。
その『接吻』とちょうど同じ頃に公開されてて、偶然なのか「距離」を人為的につくる装置に共通点があったのが、キム・ギドクの『ブレス』で、これは張震が出てたというので注目していた向きもあったのかもしれません。
 
ちがうものをハッキリ混同するまさしく無分別不条理が、ほとんどこれはコメディかい?と言いたくなるのが『悲夢』(ひょっとしてこれを韓国語読みするとdreamなんですか?)。これも愛ですかぁ??なぜかオダギリジョーは日本語のままだったり、このどうにも抜け道のない(普通に考えればいくらでも逃げ道はあるはずなのに)「ちがう」「ちがわない」構造の強張りぶりには、やっぱりキム・ギドク、さすがというしかありません。